我慢(がまん)ってどんなことなんやろ?
この本を読んでて、我慢(がまん)ってどんなことなんやろ?って思った。
「何かをやりたくてもやらないようにすること」
これが我慢する。
そんなように教えてもらったと思うけどね。
本来は、どんな意味があるんだろって思うわけさ。
そこで調べてみた。
我慢(がまん)とは、仏教の煩悩の一つ。強い自己意識から起こす慢心のこと。
四慢(増上・卑下・我・邪)の1つ、また七慢(慢・過・慢過・我・増上・卑劣・邪)の1つ。仏教では人間を固定的な実体として捉え、自己に執着(しゅうじゃく)することを我執(がしゅう)といい、その我執から、自分を高く見て他人を軽視する心をいった。
現在、一般的に自分自身を抑制し、また耐えるという「忍耐」の意味あいで用いられる「我慢する」は、もともと「我意を張る」などという強情な心意を介した転用で、近世後期から言われるようになったとされている。
我意
自分の考えを押し通そうとする気持。わがまま。勝手気ままな心。
「―を通す」
こんな意味があるんだとさ(笑)
言葉って奥深い。
ということは、
心屋仁之助さんの今回の本のタイトルの
「がまん」
は、ちょっと意味合いが違うようだね。
たぶんね、予想なんやけど
ここでの「がまん」って
他人が決めた観念や決め事で縛られてることに対して
「がまんしない」ということかもね。
そう考えると、何かシックリくる。
親や他人に知らぬ間に刷り込まれたものに気づけば、
がまんしなくていい。
やりたいこと、考えたいこと
何でもできるのかもしれん。
今日は、こんな話でした。