思い返してたのだよ。備忘録的に。 (フェイスブックから)

 

ふと、思い返してた。

 

何で、親父はソフトボールクラブの監督になったのか?

 

どう考えても、オレの為としか考えられない。

 

もし、そうならおれの進む道は、

 

相手を受け入れること

相手が受け入れられていると分かる場を創ること

相手が向上できるように、自己の経験を伝える、教えること。

 

 

これが自分の本質なのかはわからない。

 

でも、そんな氣がする。

 

おれはお節介が好きみたい٩(๑´3`๑)۶

 

 

以下は、以前、フェイスブックにあげた内容。

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最近、よく考えます。
産まれて43年。

自分は、色んな経験をしてきた。

自分の人生、どう生きたいのか!?

小さいとき、人見知りだったこともあり、同年代の子達にイジられることあった。

小学3年で、町内のソフトボールチームに入れられ、万年補欠状態。

しかし、あるキッカケで、親父がそのチームの監督に。

今ならわかる。

おれが小学校卒業までやりきれるように、親父が手を差し伸べてくれたんやと。

親父の愛やね。

親父とは、早くに他界したから、17年間しか過ごせなかったけど、

おれは、親父の背中を今でも追っかけてるみたいや。

それを支え続けた母親の愛も今ならわかる。当時、おれは母親が好きではなかったんやけどね。

そして、今のおれは、おそらく関わった人には、お節介な人と思うのかもしれん。

特に仕事ではね、周りがなんと言おうと楽しく、相手にも良い気持ちで従事してもらいたいと思ってる。

もっと言えば、お客さんにも、良い気持ちでいてほしいと思ってる。

そのためには、厳しいことも言える。
それについて来れない、来ない人もいるだろう。

ヒトは、自分の観点でしか世界を観ることができないからね。

しかし、共感が相まれば、共有はできる。

最初の、人生どういきたいか?という部分。

もしかしたら、
お節介という愛を、やりつ続けたいのかも。

それに、共感するヒト、共感しないヒトもいるだろうけどね。

お節介という愛。

やっぱり、ここには、親父の言葉では語らないお節介という愛が密接に関係してる。

何時だったか、昔のおっちゃん、おばちゃんは他人のこどもを自分のこどもと同じように叱り、育ててると言ったことがある。

温故知新ってことばもあるように、
古き良きものは、今でも通用するし、皆が知って学ばなあかんよなって思うよ。

でも教育、躾の体裁でやる暴力はあかんがね。

あ、話が脱線したけど、お金も必要やし、勿論、稼ぎ方、使い方も勉強せなあかん。

でも、夢、目標ばかりに目がいってさ、どう生きたいっていう哲学的な在り方も必要やんなという話。

そして、おれは、人と関わってお節介という愛をバトンタッチして、伝えて行けたらと思います。