本氣と覚悟の違い
本氣と覚悟の違いについて、こうなんじゃないかって思ったから書いてみる。
みんなは、どう思うかは別としてね。
覚悟という言葉は、こうなってもいいと心の準備をすることやと思う。
つまり、良いも悪いも受け止める準備をすること。
そして、
本氣というのは、冗談、戯れではない状態。
雑な言い方をすると、チャラけてない状態。
この本氣という状態になって初めて、真剣な状態になるための布石となる。
ほんでな、真剣という言葉は、真剣勝負から生まれたんじゃないかと思うねん。
真剣勝負とは、心、技、体の延長上に刀を使った命のやり取り。(ここでは、日本刀をイメージ)
方程式みたいな感じでまとめるとこうなる
真剣(心技(擬)体が動く) 〉本氣(中道、中庸)〈 覚悟(心が動く)
本氣と覚悟の違いについて、書いてるつもりが、真剣という言葉も無視できんくなって、こんな方程式が出来上がった。
ほんで、ここにある、「技」ね
「擬」も同義にした。
なんでかというと、「擬」という意味には、真似るという意味もある
擬態や模擬とかあるよね。
物体を真似る、環境を真似るなどなど。
技を身に付けるには、守破離という言葉があるように、
忠実に真似ることから始まる。
この「擬」の精度が高くなればなるほど、守→破→離のように段階が上がっていく。
なので、「擬」も精度が上がれば、「技」になると思った。
話は、少し戻るけど、
覚悟と本氣は、同義にとらえるひとが多いかもしれん。
意味合いとして、似てると感じるからかも。
でもね、今を受け入れる状態にならない(覚悟)と、
スタートライン(本氣)には、たてないんだってことを知ってほしい
これは、自分の今の状態を否定するのではなく、認知するということ。
今、あなたの状態はどうなってる。
結果だけ言えば、生きてるってこと。
生きてきた内容がどんなものであれ、あなたは、生きている。
もっと言うなら、
生かされているということ。
おれらは、日本という比較的、安全で憲法にも生活を守られている。
そんなことないと思うかもしれんが、間違いなく守られている。
もし、あなたが日本以外の何処かの国に住んだとして、ここまで守られるだろうか?
日本という国は、ここで住む人間全てを守っている。
極論を言う人もいるが、その人はそういった偏った思考で理解してしまうのだから仕方がない。
今、振り返ってほしい
あなたは、人生のスタートラインに常にたっているか?
過ごしてきた人生を受け止め、可能なら受け入れる認める
そして、未来へ真剣に動こうとしているかを?